ホンダフライングクラブ会長      濱尾 豊

ご挨拶                                                2019年6月
ホンダフライングクラブ会長 濱尾 豊

ライトフライヤーがキテイホークの丘で初めて飛んでから100年を超えました。
1962年に本田宗一郎氏が本田技研で飛行機を作ろう、飛行機用の100馬力のエンジンも作る、それには飛ばす飛行場が必要、又お客さんには免許も必要だということでホンダフライングクラブが1965年に誕生し今年で54年目を迎えました。
出来て間もないころに入会した私は草原のランウエイでパイパーチエロキーに乗って訓練しておりました、おんぼろバス改造のクラブルームで先輩クラブ員から昼飯を食べに羽田飛行場まで飛んで行ったことなど聞いた昔が、昨日のように思い出されます。
私も3代目の会長をお引き受けして約20年経ちました、その間色々な出来事もございましたが、その中でも本田宗一郎初代会長が50年来抱いていた夢が、30年ぐらい前にどうやら始まったらしいとの噂話がありしばらく経って、アメリカでテストフライトに成功したなどの記事になり、ワクワクしながら読んでいたものが、今ではホンダジエットとして羽ばたき世界中で大評判を頂き、この上なくうれしい限りです。
皆様にも私が今までに経験したのと同様に素晴らしいクラブライフを過していただけるように願っております。
今年のクラブ総会でご承認いただいたクラブ員待望のホームぺージがこの度ついに立ち上がりました。
目的はクラブ員の親睦、安全飛行の啓蒙、情報交換、クラブライフの充実等、字に書けばその通り、ごもっともでございますが硬い話はさて置き、本田宗一郎氏の教えにもありますように「わいがやの勧め」すなわちワイワイガヤガヤ皆で話をすることによって楽しいことや良いアイデアが生まれてくる、そういう場をこのホームページが担えればとおもいます。
ホームページは書き手と読み手で成り立つものです、皆様にはライターとしての参加もお願いし、このホームページが末永く愛されるよう希望いたします。