ホンダフライングクラブ初代会長   本田宗一郎

【1965年ホンダフライングクラブ・フライングニュース第1号に掲載】

ライトプレーンの楽しみ               会長 本田宗一郎


編集子が、この会報の創刊にあたってクラブ会員の皆様に「ごあいさつ」を述べてほしいという。
皆様、ご機嫌よう。狭い日本で、いまやのこされた唯一のもの大空は、無限である。飛行機に乗って楽しさを大いに満喫しようではありませんか・・・・と拙文を書いているのが、奇しくも9月20日の航空日である。
航空日は、この日を記念して、戦争で父親を失った埼玉県下の遺児の招待飛行を、埼玉県とホンダ・フライング・クラブ共催で行っているはずである。すくすくと育った若人たちの、一生の想い出の一コマとなるであろう。
私自身、子供のときアメリカから来日したアート・スミスの曲技飛行に魅せられてから、いまだに軽飛行機に乗るのが大好きである。
大型機だと、まるでバスにでも乗っているようで面白くない。
ついせんだっても、皆様の乗っているチェロキーJA3243に乗って、実は禁じられている操縦をやってみた。
というのは、ちょうど3年前のこと、社用機パイパー・ペーサーを操縦して静浜飛行場を離陸しようとした。だが強い横風にひっかけられ、左に機首をとられた。ところが右の修正舵が大きすぎて滑走路をハミ出し、尾輪を有刺鉄線にひっかけて、エンジン全開のまま空中に大きく弧を画いて墜落。機体は大破したが、幸いにも悪運強くケガはしなかった。
それ以来、本社の重役諸君が心配して私の操縦は禁じられてしまった。内緒だが、軽飛行機で旅行をすると、若かりし頃、大いに遊んで楽しかった場所が見つかると、つい操縦稈をつかんで低空飛行を試み、思い出を新たにしたくなる。
禁じられた遊びは、私にとって最大の楽しみでもある。
(本田技研工業・取締役社長)